日本で最初のガス灯
十数基のガス灯が大江橋から、馬車道、元町通りにかけて灯されたのは、明治5年(1872)のこと。 世界で最初のガス灯がロンドンで点いてから60年後のことです。これは日本のガス事業のはじまりでもありました。
ガス灯の生い立ち
灯の柱部は英国グラスゴー市から輸入し、灯具(灯りの部分)は日本国内の職人により製造されました。夕方には、はっぴ姿で長い竿の先に火をともした点灯夫と呼ばれる人がやってきて、次々とガス灯に火をつけて回り、週に一度はガス灯磨きをしていたそうです。現在は、馬車道で81基の本物のガス灯が点っているのを実際に見ることができいます。もともと水銀灯だった柱部分は、50年以上ある歴史のあるもので、灯具の部分は平成15年にガス灯に付け替えられたもの。ガス灯は管理が大変で、灯具のガラス部分のススを磨かないと明るさが落ちてしまうとか。
夜が明るく光りだした!
明治5年の年末には、横浜ステーションなど各所に合計300基ほどガス灯が設置されました。提灯や行燈しか知らない当時の人にとっては、ガス灯の輝きはとてもびっくりするものだったようで、東京からも見物人がやってくるほどでした。ガス灯が点くと、毎夜祭りのようなにぎわいだったといいます。数々の錦絵にはガス灯を描いたものが残されており、当時の人の驚きと好奇心の高さが伺えます。明治天皇も、点灯したガス灯をご覧になったといいます。
これまで夜の闇を見慣れた人々の目には、ガス灯のあかりはとてもまぶしかったとも言われています。江戸時代が終わり、新しい文明開化を迎えた日本。特に横浜はとてつもないスピードで西洋文化を受け入れて発展していきました。中には、めまぐるしい変化に恐怖を抱いたひともいて、ガス灯はキリシタンの魔法だという噂もあったようです。
また、ガス灯に関しては、いろいろな国の利害が衝突していたようです。特にアメリカやドイツが、日本におけるガス事業の利権を独占しようと日本政府に働きかけていました。そして、ほぼ認可が下りそうになっていたときに、「ガス事業のような重大な利権を外国人に与えるのは間違っている!」と立ち上がったのが、高島町の由来にもなった、のちに日本ではじめてのガス会社を創った、高島嘉右衛門です。そして彼こそが、その後馬車道に十数基のガス灯を点灯した張本人なのです。
日本で「はじめて」がたくさん
明治23年には、ガス灯は電気の街灯にどんどん置き換わっていったそうです。いまでもガス灯が見られる馬車道通りは、ガス灯に加えて、街路樹、アイスクリーム、乗合馬車などの「日本ではじめて」づくしの場所。写真は街頭の柱部分。緑色がレトロな街並みにとても合います。
道のタイルもおしゃれ
馬車道通りには馬車道らしいタイルが道にちゃんとあるんです!つい写真を撮ってしまいます。