関東大震災後に横浜に居住した外国人の暮らし
作りは洋風住宅の標準的な要素である、上げ下げ窓、鎧戸、煙突などはシンプルな形で採用され、住居として一番住みやすいデザインを追及しています。窓は大きくとってありますが、格子状にデザインされた桟が取り外せるようになっていて、これには理由が。1年など短期で滞在する外国人が住居としてだけでなく、事務所がわりにも使用することも念頭にいれて、臨機応変に使えるようになっているのだそう。玄関から入ってすぐ居間とダイニングになる一番大きな部屋があるのですが、あえて壁ではなくアーチ状の間仕切りによって、空間を区切っているのも特徴です。
キッチンにしかけあり
キッチンの壁に細長い扉がついているので開けてもらうと、中から木でできたアイロン台が出てきます。小さい部屋でも合理的に家事が行えるように、壁の中に収納できるようになっています。現代にも通じる収納術です。
光庭をうまく使い共同住宅を設計
湿気を逃がすために、家の真ん中に光庭があり、各居住部分の風呂場が光庭に沿って配置されています。そのため採光もとれ、風通しもよくなるので、日本の気候に合わた機能的なアイディアが光ります。
山手西洋館でしか買えないお土産
「山手234番館は、物販担当なんです」とお話してくれた五十嵐館長。西洋館のスタッフにいらっしゃったイラストレーターの方と作ったという、淡いピンクのバラ「はまみらい」をあしらったとても素敵なミニクリアファイルは大人気だとか!他にも山手西洋館でしか買えない「山手西洋館薔薇色ドラジェ」もおすすめです。どれも大人になっても失わない乙女心を刺激するものばかり。
母国へ戻った元住人の方が50年ぶりに日本にやってきて、「ここに住んでいたのよ!」と、突然やってくるという驚きの出会いもあるのが山手234番館の興味深いところ。その方が住んでいた頃に、どういう暮らしをしていたか、何人くらい住んでいたかなどを聞くことができたそう。当時のお話を聞いて、情報を集め、歴史の空白を埋める作業を現在もしています。続修繕や維持のためにささやかながら設置された小さな募金箱の中には、たまに外国の紙幣が入っていることもあるとか。外国人向けアパートメントだった山手234番館らしい、こちらまで微笑んでしまうエピソードです。記録によると、50年代のアパートメントの家賃は16万円!多くが1年ほどの短期滞在や単身赴任者だったそうですが、もちろん家族で子供を生み育ててる人もおり、山手234番館では現在、合計で約50組の世帯が生活していたことがわかっています。
人が交流し多様な文化が出会う場所
「公開西洋館として、西洋館をみなさんに知っていただくほかに、ギャラリーとして部屋を開放することによって、観光客のみなさんと作品を発表する人たちとの交流が生まれているのが本当にうれしいです」と五十嵐館長。取材にお伺いしたときも、男性二人が写真展を開催しており、西洋館の中で偶発的にアート作品に出会える楽しさを体験できました。
ギャラリーや会議などに使える貸し出しスペースは抽選で決めているそうです。興味のある方はこちらに詳細があります。