日本人のための、日本人の住みやすい洋館
木造2階建てで八角形の塔屋(とうや)がつき、天然スレート葺きの屋根(東京駅で使われているのと同じもの)、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残す外交官の家。ファンタジーの世界に迷いこんだのではないかと思ってしまう外観にまずうっとりしてしまう。
外交官の家ならではの作り
外交官という仕事柄、お客様が多いので大きな食堂、大客間と小客間の2つが、1階のメインとなっています。日本的な発想で二つの客間を仕切るのは壁ではなく引き戸。引き戸が間仕切りになっているので、大きなパーティーを開く際は、開放的な空間を作り出すことができました。要人の方の訪問も多かったので、玄関の横に供待部屋という小さな部屋があり、お付の人が中で待てるようにしていたとか。1階の塔屋部分はサンルームとなっており、南平台にあった当時も、日当たりと眺めがよく、内田家のみなさまくつろいでいたと伝わっています。
細部にまで宿るお客様へのおもてなしの心
お客様を多数お迎えしてパーティーなどもよく開いていたという外交官の家。1階部分は、細部にいたるまで「おもてなしの心」を感じることができます。小さなドアノブひとつとっても、物入れのドアやドアノブにまで細かい意匠が施されていることに気づきます。床の板張りも、部屋ごとにちがっていて、華やかな印象です。そして注目したいのが、玄関。内田家の家紋 「丸に剣三つ柏(まるにけんみつかしわ)」を西洋風にアレンジしたステンドグラスが、訪れる人を出迎えます。
対照的に質素でナチュラルなプライベート空間
変わって2階は内田家の居住スペースとなっており、プライベートの空間なのでとてもシンプルなつくりになっています。使われている木の色も落ち着いていて、装飾的な要素がなく、1階の印象とまったく異なります。バスタブやトイレは西洋式で、ご令嬢以外のご家族は全員ベッドで寝ていたそうです。2階の塔屋部分は八角形のお部屋となっていて、奥様のお気に入りだったとか。八角形の赤いラグに、ロッキングチェアーがあり、そこでゆっくりと外を眺めながらゆったりと過ごされたのでしょう。この部屋のイメージは「のだめカンタービレ(漫画)」のある場面でも使われているらしいので、探してみては?
外交官の家はもともと洋館部分と和館部分がありましたが、洋館のみの移築となっています。和館へとつながる廊下は一部残されているので、いまでも見ることができます。和館は、内田家の三人の令嬢のために作られたとか。内田家は外国暮らしが長く西洋式の家や暮らしに慣れていましたが、ご令嬢たちはいずれ日本で日本人に嫁ぐのだから、和式の暮らしを身につけなくてはならないという奥様の考えがあったからと言われています。外交官の家の設計者は外国人ですが、ところどころに日本的な発想やアイデアがちりばめられています。奥様である陽子さんの意向が光る家のつくりとなっているのです。
歴史のバトンを受け継いていくこと
関東大震災、第二次世界大戦、東京大空襲、戦後はアメリカ軍による接収など潜り抜けてきた外交官の家。だからこそ、内田さんのお孫さんである女性が、維持も難しくなってきたこの外交官の家を、解体せずぜひ残したいという強いお気持ちがあり、縁あって山手に移築となったそうです。
外交官の家につまったたくさんのエピソードを聞かせててくれた宮下館長。「これからも大切に維持していき、外交官の家を後世に残していきたい。そしてたくさんの方に来館していただきたいですね」