日本に現存する最古の国産船
氷川丸は数々の危機を乗り越えた事から強運の船と言われている。危機とは戦時中、政府徴用船、および海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷し、戦闘機からの銃撃、潜水艦との遭遇からも生き延び、日本郵船の大型船では唯一沈没を免れた。敗戦後に戦後賠償として差し押さえになりそうになった事もある。そしてなにより、昭和35年の最後の航海後にスクラップ化を免れて、現在のように山下公園に係留され一般公開される事になった。
往年の豪華客船時代に思いを馳せて
豪華客船として運航されていた際には秩父宮殿下妃殿下が渡英されたことに加え、世界の喜劇王チャールズ・チャップリン、柔道の父嘉納治五郎など各界の著名人が乗船したという。宝塚歌劇団50名を北アメリカ・カナダ公演へ送り届けたこともあるとか。豪華な食事と行き届いたサービスは大変好評だったようだ。いちばん豪華な一等客室の船賃は、なんと500円。これは昭和初期ではたいそうなお金で、千円あれば家1軒建てることができたことを考えると、世界に名だたるセレブリティが船旅を楽しんだことも頷ける。豪華客船時代に、数々のドラマがあったのだろうなと想像してしまう。
息をのむような美しいインテリアデザイン
氷川丸のインテリアの主な部分は当時のフランスの船室デザイナーとして活躍していたマルク・シモンがアールデコ様式でデザインしたもの。マルク・シモンのカラースキーム(インテリアデザインの図面)が残されており、見比べるとほぼデザインどおりに作られていることがわかる。これはとても珍しいことらしい。中でもアールデコ様式の天窓や天井がとても素敵で優雅な気分になる。一等特別客室は川島織物につながる川島甚兵衛のデザインと言われており、なんと椅子とテーブル以外は当時のままの客室を見ることができる。ベッド上には「かざり毛布」と呼ばれるものが置いてあるので注目だ。毛布を花や植物に見立てたそうだ。乗船する外国人に特に評判がよかったとか。細部にまでおもてなしの心を感じる。
まるで海に浮かぶ船上の美術館
300円という入館料では安い!と思えるほど、船内は見ごたえ十分。中は美術館のようで、なかなか見ることができない外国製の調度品や、クラシカルなデザインにため息をついてしまうだろう。外に出ると、気持ちの良いデッキからは、みなとみらいや大さん橋を望め、豪華客船で旅をしているように錯覚してしまう。屋外デッキにはとても座りやすいベンチもあり、船長室や操舵室(そうだしつ)からは横浜港が見渡せる。当時使われていた、伝達の仕組みなどが今も残され、船長室と船の一番上にある操舵室とで会話もすることができるので、探してみてほしい。古き良き船旅を追体験しよう。
氷川丸の名は埼玉県にある氷川神社から名付けられ、船内の神棚には氷川神社の御祭神が祀られている。船内装飾には社紋である「八雲」の神紋が用いられている。階段の美しいアイアンの中に見つけることができる。歴代の船長とその乗組員全員は大宮まで参拝するのが習わしで、戦争が始まってからは南方から持ち帰った砂糖といった珍しい物資も度々献納され、安全祈願祭が行われていたようだ。 また昭和17年の航海中には8月1日に氷川神社の大祭を祝うお祭りが船中で行われた。氷川丸と氷川神社の特別なつながりを知るのもとても興味深い。
100年受け継がれる氷川丸のドライカレー
ひき肉や野菜のみじん切りを煮詰めたものをご飯にかけて食べるこのドライカレーは、明治時代に日本郵船の欧州航路船上で日本人コックが考案したと伝えられる。福神漬けも船内で作っていたという史実もあるとか。実はこの氷川丸に代表される「郵船ドライカリー」の味は100年継承されているのだ。お土産として「氷川丸ドライカリー」はレトルトでも売られているが、その味を受け継ぎ再現しているお店が関内にある「Bar de 南極料理人Mirai」だ。オーナーはなんと南極料理人だった方で飛鳥と飛鳥Ⅱの南極観測隊で日本郵船の船に乗っていたという異色の経歴をお持ち。口に入れた瞬間、素材の甘さがひろがり、後味がすごくよくて驚いてしまった。ぜひ継承された歴史を味わってみてほしい。