古き良き西洋文化が残る地域
元町の南にある高台に位置する山手エリア。ジブリ映画「コクリコ坂から」(監督:宮崎吾朗)のモデルにもなったこのエリアは、幕末から明治末期まで外国人居留地だった。フランス、イギリス、アメリカといった西洋人が駐留しており、その影響もあり今でも西洋風の街並みを保っている。山手地区に入ると外国人も多く、英語をはじめいろいろな言語が飛び交う。
山手の歴史を知るには山手資料館へ
山手資料館は、山手の貴重な資料を公開しているが、資料館の建物自体も、明治42年に建造された洋館。関東大震災も戦火も生き延び、現存する洋館のなかでは一番古い。館内には、山手の歴史がわかる年表や、外国人墓地に眠る横浜の功労者の紹介、貴重な食器や写真などが展示されている。山手資料館でしか買えないパッケージ仕様となっているビスカウトのお土産もある。
山手西洋館
外国人居留地だった山手は、当時洋館が立ち並ぶ異国のような町並みだった。しかし、関東大震災で壊滅的な被害を受け、ほとんどの洋館は倒壊したという。現在ある山手の洋館は、ほとんどが関東大震災後に立てられたもの。そして現在横浜市では7つの西洋館を無料で公開している。例えばスパニッシュスタイルの「山手111番館」や「近代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドが設計した「エリスマン邸」、山手で最大級の大きさを誇る「ベーリックホール」など数々の歴史的建造物だ。現在これらの山手西洋館は改修、保存され、地域の人たちのボランティアに支えられながら維持している。西洋館はイベントの企画にも力をいれており、ピアノや歌のコンサートや展覧会、ウェディング用のホールとして使用されている。また、ハロウィンやクリスマスなど、季節ごとの装飾も行っていて、リピーターのファンも増やしている。写真は外交官の家。
西洋館の特集ページ
横浜外国人墓地
「横浜外国人墓地」は、ペリー来航の際に事故で死亡した若い船員を埋葬するためにペリーが「海の見える丘に埋葬してほしい」と要求したのが始まりと言われている。外国人墓地は横浜にゆかりのある聖職者や宣教師、ジャーナリストたちや、日本の近代史に関わりの深い人物がやすらかに眠っている。周辺は見晴らしがよく、外国人墓地からは富士山も見えることもある。重厚で歴史を感じる石造りの門構えで観光地としても親しまれているが、基本的には墓地内に観光客が立ち入ることはできない。しかし冬以外の土日であれば、外国人墓地の維持管理のための募金に協力していただいた御礼という形で見学することが可能だ。