かわいらしい小さいおうち
ブラフ18番館は、山手の西洋館の中でも、こじんまりとしたかわいらしい洋館。当時大きなガラスが高価だったので、小さいガラスを組み合わせて、窓の枠をデザインしたり、暖炉を背合わせにして煙突を一本にするなど、合理的な作りにもなっています。残念ながら建築家が誰で、いつ建てられたものかは分かっていませんが、関東大震災の直前に貿易商のバウデン氏が所有、震災後に再び山手町45番地に建てられたようです。戦後はカトリック山手教会の司祭館として平成3年まで使用されました。実はこの建物は震災による倒壊や火災を逃れた部材を、再建する際にもう一度利用しているのも特徴です。
光であふれたサンルーム
縦長のサンルームからは、さんさんと光が入ってきます。ここから当時山手からは海が見えていたであろうと思われます。往来する船を見ながら、ほっと一息ついたり、祖国を懐かしみながらお茶を飲んでゆったりと過ごしたのかもしれません。現在庭には大島桜が植えられ、春はお花見もたのしめます。
100歳の看板娘「松本ピアノ」
100年前のピアノ音色とはどんなものなのか。響きがとてもきれいな音で、音が丸みを帯びているような感じ。ゆったりした曲に適しているのは、鍵盤を弾いたときの戻りが遅いからだとか。修復され、調律されて、大切にされているピアノの音色は土曜日の14時からのサロンコンサートで聴くことができます。楽譜スタンドの横に燭台がついています。
張り出た大きな出窓
正面にある出っ張った部分がベイウィンドウ。これがいわゆる「出窓」と呼ばれるもの。部屋そのものの形が出窓のようになっている。窓が大きくとられているので、採光がよくとても明るい雰囲気。当時の外国人住宅にはよく見られた窓です。館内では震災復興期(大正末期~昭和初期)の外国人住宅の暮らしを再現しています。
見どころは新しく公開された寝室
改装し、新しく公開した寝室。ベッド2台とナイトテーブル、服箪笥の家具4点には、太陽の下にお花が咲いているような文様が共通して彫られているので探してみてください。これらは平成26年に解体された南区の唐沢26番館の方より寄贈された昭和初期の貴重な特注の横浜家具です。当時の暮らしぶりや、部屋の使い方が分かるように展示を心がけているそう。
かつてブラフ18番館を所有していたバウデン氏は、横浜貿易の重鎮であり、外国人社交界の中心人物だったとか。当時の外国人住宅にはサロン(応接間)があり、昼間は奥様たちが集まってティーパーティーが開かれ、家庭や居留地のこと、レシピのこと、祖国の話題など、いろいろな話に花を咲かせていたことでしょう。夜は御主人同士で集まり、ウィスキーを嗜みながら、仕事の話や政治の議論なんかをしていたかもしれません。サロンは隣人とのコミュニケーションを図り、情報収集するための場所だったのではないでしょうか。しかし、そんな外国人の社交も、関東大震災で崩壊してしまい、華やかな生活を変えざるを得ませんでした。
毎朝ていねいにお掃除してお客様を迎える
山手にある西洋館すべては館長とスタッフ1名の二人体制が基本。毎朝、来てくださるお客様たちに心地よく過ごしてもらうためにも、館内の掃除はかかさないという。西洋館の中ではブラフ18番館は小規模ではあるが、館内すべての掃除をするとあっという間に開館時間になってしまうそう。「お庭のお手入れは、とてもうれしいことにボランティアの方が毎日のように来てくださり、草むしりをしたり、落ち葉を拾ったり、銀杏を拾ったりしてきれいにしてくださっている。とても助かっています。ボランティアの方にすごく恵まれているからこそ、西洋館を綺麗に維持していけている。
館内を案内してくださった降籏館長。近くにお住まいだという降籏館長は山手本通りがお好きだそう。「山手本通りを山手の街並みを感じながら車で抜けて、埠頭までは行かない新山下の道を山下公園に向かって走ると前方にみなとみらいが見えるんです。とっても横浜らしくて、いつ見ても気持ちがいいですよ」